COLUMN

コラム

美しいものをみる心

COLUMN2019.6.25
代表取締役 所長 萩原 憲一

私達の生活空間は様々なモノであふれてます。

身近なところでいえば、生活を便利にあるいは豊かにするための道具など、または家具やインテリアなど様々なモノが私達の身の回りにあります。

生活の中で何気に見ている窓からの風景や、日常的に過ごす仕事場、または遊びの場でも様々なモノを目にしています。それらは全てカタチやイロをもち、ある目的のために創られたものです。無意識のうちに触れている、目にしているそれらは必ず誰かが創ったモノです。

街並みや都市の景観も同様に人の手で創り上げた風景であり、私達はそのなかで社会生活をおくっています。

遠くに見える山々の姿や森や湖などは自然が長い年月を掛けて創った景観であり、重力に従い少しずつ変化しながら現在の状態に落ち着いた姿であるといえます。それらはある意味、合理的でもあり、バランスのとれた美しいカタチやイロをもっています。

私達は人であるゆえに生活するために様々なモノを創り、生み出します。

自然界にあるもの以外は全て、私達が創り出したモノです。モノを創り、生み出す私達は「美しいものをみる心」を持っていなくてはなりません。

美しいものに囲まれて生活していると気持ちの良いものです、生活小物や衣服や家具なども、一定の合理性を有しデザインされたものは暮らしを豊かにしてくれます。

当然、建築も同じです。我々は建築設計を生業としています。私は建築ほど創造的でデザイン性に富み、クリエイティブでありながら確固たる目的を持っている「モノ」は他に見あたらないと思います。アートと呼ばれる絵画や彫刻、または映像や写真など様々な分野で創作行為が行われいますが、建築は人々が社会生活を送るうえで身近な存在である以上に、まさに直結した存在であると考えます。これほど影響力のある「モノ」は他にありません。ゆえに責任も持ち合わせています。

人々が何気なく目にしている景観や何気なく使って入る建物も私達が創り出したものであり、そのには必ず「設計者」がいます。街には様々ビルや住宅など建物であふれています。それら建物の中には本当に考えられて創られた「モノ」なのであろうか、疑問視してしまう建物も少なくありません。

「設計」は平面プランを考え構造計算を行い必要な設備を付加することに終始する作業ではありません。「設計」は用途に従った機能や安全性を確保することは当然でありますが、それ以上にデザインといわれるエッセンスを含め思考しなければ本当の建築にはなり得ないものと考えます。しかしながらそれら最も重要な要素を忘れている、もしくは置き去りに、または最初から持ち合わせていない設計者も多くいることも事実です。

設計者は「美しいものをみる心」を持ち合わせてなければなりません。

実はそれほど難しいものではありません。形態的なバランス感覚は整っているか。建物の重心や剛芯がバランスよく計画された建物は安定的で美しいです。素材や色彩の整合性は整っているか。感覚的に観て違和感の無い佇まいを創出しているか。少し遠くから俯瞰するような広く視野で立ち止まり観察してみることが大切です。意匠設計を専門とする方は勿論のこと、実は構造や設備の専門分野である設計者にこそ「美しいものをみる心」が必要なのです。

迷ったときや悩んだときは自然界に学べばよいと思います。前途した山々の姿、動物や虫などの姿も自然の摂理に従い変化を繰り返し今の姿になりました。いわば完成された美しさがあります。

彼らが進化し現在の姿になったことと同様に、建築も社会の価値観の変化と共に進化していくことは当然必要であります。

設計者が「美しいものをみる心」を持ち合わせていなければ「美しいもの」は生み出せません。

ライフワークの中で美しい風景を「美しいものをみる心」を意識しながら観る。美術館に足を運ぶ。そして自らのインスピレーションとセンスに少しずつでも良いから磨きを掛ける。

そのような生活をおくっていれば自然と美しいモノを見る目も養われるでしょう。

美しい自然に映えた渓谷を訪れた際に、自然の摂理に呼応した人工美をもつ橋梁が突然姿を現した時の場面をイメージしてみて下さい。まさに融合された美しい景観がひろがり、感動の息をのむ瞬間となるでしょう。そのときに「美しいものをみる心」をどれだけ持ち合わせているかで感動の幅も異なってくるものと考えます。

「建築」は「空間」です。開放的でおおらかで豊かな空間は、屋内屋外を問わず気持ちの良いものです。そこには建築技術者としても「意匠」も「構造」もありません。もちろん「設備」の差もありません。創ろうと想った空間をどう実現させることができるのか。専門分野が分かれているだけで目指すものは皆同じです。同じ目的意識を持ち価値観を共有し共同作業が実現できたときに、感動を呼ぶ「空間」が創出されるものと思います。

「建築」は総合芸術といわれています。これほどまでに人々の生活に溶け込み、密接な関係のもと存在している分野はありません。「建築」を生業として生涯を捧げるにふさわしい魅力あふれる職業であると想います。

「建築」を目指す学生諸君、または「建築」の世界に入りこれから本格的に「設計」に取り組むであろう若い人達を含めて、「美しいものをみる心」を養い、感動を呼ぶ建築を創り挙げてほしいと思います。またそのような体験を早く味わってほしいと切に希望します。