COLUMN

コラム

建築と地域性

COLUMN2022.3.30
代表取締役 所長 萩原憲一

当然のことながら建築物は人間の営みと共に有り、人の暮らしと共に進化してきました。建築物は世界中の何処にでもあります。その地域で社会生活をおくる人々の生活様式に従い建築の在り方も様々です。アジアなど高温多湿な地域や、緯度の高い欧州など、地域により建築様式は様々であると共に文化や気候風土にも左右され現在の姿になりました。では日本国内ではどうでしょうか。弓のように長い日本列島の東と西では気候も異なり経済や価値観などを含めた様々な面で独自の文化を有しています。

高度成長期以降に発展してきた地方都市の現在では安価な工業製品の氾濫やプレファブ化等により無機質でアイデンティティーを喪失しつつある風景を見ることもありますが、地域による基幹産業の特色や地理的要素等により街並みや景観に特筆するものを見つけることができます。それは地域における固有の文化であり、まさに地域性と言えるものです。

さらにフィールドを絞り込み、群馬県域を俯瞰してみます。北毛のみなかみ町藤原地区のような豪雪地帯や、東毛の最高気温を記録するエリアなど、県内だけでも多様な地域があります。さらにそこに住む人たちの気質にも差違があることも感じられます。そこに在る建築もまた、地域性と共に形態や様式などの趣の優先順位等を伺い知ることができます。

かつての養蚕県である群馬県は昭和の時代、至る所に桑畑があり養蚕が地域を支える大きな産業として一時代を築きました。養蚕様式も地域により異なることから養蚕農家の家屋形態も細部で異なり、兜造りと呼ばれる茅で吹いた寄棟の屋根裏を蚕室で活用した養蚕農家も県内では大きく二つの様式に分かれます。赤城山を中心とした赤城圏は赤城型養蚕農家と呼ばれ、蚕室正面屋根の一部を切り落とし通風と採光又は排煙口として機能する形態として進化し、一方の榛名圏にある榛名型養蚕農家は同部を切り落とさずに片持ちで上部に上げ庇として持ち上げることで蚕室面積を低減することの無い形態として進化を遂げました。

赤城型も榛名型も農村部では実際に現在も住居として使用されている民家を観ることができます。榛名型は上部に迫り上げた屋根庇の雨仕舞いが悪く、現存する建物は少ないと言われています。みなかみ町月夜野では榛名型の民家が集落を形成している地区が現存し、面白いことに赤城山西麓の昭和村でも榛名型が点在する様子を観ることができます。時代が進み、養蚕農家の形態も変化し「せがい造り」と呼ばれる二階蚕室の外部に桁を持ち出してバルコニー状の通路を設けた養蚕農家が造られるようになりました。これは移動のための通路は屋外に設けることで蚕室面積を最大限確保することに趣をおいたものと言われています。

建築の様式は人々の生活や暮らしと密接に関係し、独自の進化と共に現在まで変遷を遂げてきました。地域には固有の文化があり、その役割や目的を知ることで場所性といわれる土地や敷地のエネルギーを感じとることができます。

私達に求められることは「地域性」をよく理解し、読み解く力を身につけることです。そうすることで「建築」がその背景にあるものと素直に結びつくことができると考えます。

自然豊かな風景や保存すべき街並み、都市景観、社会環境、それらは全て私達が創り維持していくものです。

都市ストックの一つを構成する建築は風景を創る大きな役割と責任を持ち合わせています。

建築の設計に携わる者は決してそれらを忘れてはいけません。